ぼくと魔女式アポカリプス3
- 作者: 水瀬葉月,藤原々々
- 出版社/メーカー: メディアワークス
- 発売日: 2007/06
- メディア: 文庫
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イマだけやってりゃいい
もしかしたらイマってポモなんじゃないかとおもってググル先生に訊いてみたけどそうでもなかったみたい。それにしてもえげつないテキストのコマギレ具合。どういうことが起こってるのか分かってるはずなのに分かった気がしねえ。この発狂気味の美意識は「兇天使」に近いモンがあるなと本棚荒らして出てきたそれを読みながらそのクールさに痺れる。あずさつながり?イマも兇天使も物語をファックする物語としてクールでカッコ良く思えてこういう趣味丸出しのマイフェイバリットなことだけしてるほうが楽になってきて確実に保守派のオッサン化しつつあるなと自覚。ちょっと前に瀬戸口のカーニバルもやってみたんだけどちょい優等生的でさほど印象には残らず、グリーンリバーライトが違和感ありすぎだったとしか。確かに傑作っぽい雰囲気はちょっと出てたw。文学っぽかったし(大衆的な意味で)テーマも分かりやすいし言葉選びもセンスある。でもロミオと並べられるほどの凄みはないような。スワソンてそんなにすごいの?と書こうと思ってる文章がまるで書けず、言葉にしなくてもいいくだらんことを書いてしまった。言語化マジハンパねえ。
こうですか?
俺はセンチュリーのスウィートに部屋を取り、残った事務的な作業を部下に任せホテルへ向かった。約束の時間より30分ほど遅れて部屋に入る。ユイはすでにバスローブ姿だった。先にシャワーをすませていたらしい。気だるげにソファにもたれ、長い黒髪は艶やかに濡れていた。「お疲れ様です。」ユイのこの台詞の方が残してきた仕事よりも事務的に聞こえた。俺はだまってバスルームに入った。風呂から上がるとソファには一枚のバスローブがかけてあった。さっきまでユイが着ていたものだろう。ベットルームのドアが半開きになっていて間接照明の柔らかなオレンジが漏れている。 その先のベッドの上には何かを隠すようにシーツにくるまっているユイがいた。露出している肩から胸元のラインは赤みを帯びたライトの下でも白さを失うことが無く、俺の罪の意識を忘れさせるのに充分な色気を持っていた。不実な倒錯した心理が快楽を高めることもあるのだろう、ユイと俺はお互いの身体を溶かしあい、俺は気が付くと疲れ果てて寝ていた。目覚めると窓の外は白んでいた。 「帰ります。」 ベッドの脇のサイドテーブルにはユイの走り書きだけがあった。
ごめんなさい。再発防止に努めます。正直どうでもよかったんで今までスルーしてました。モヤモヤしてるっちゃしてるけどそれはファナティックな妄想に対してであって別に恐慌するような問題でもないというかセクハラパワハラから野心の対価へと跳躍するにはまだ足りないものがあるような気がしてさ、スポンサー様が声優に関係を迫る構図の方が分かりやすくていいのだが、いやよくないけど正直16無職がまっつんごときに抱かれてもねえ。枕の階級とかねえのかよ。最初はここ次はここ、ここと関係持てば安泰とか。まあ業界内で常態化してて穴兄弟棒姉妹が同じ現場に跋扈してるなんてことはまずありえないわけで。つか栄誉栄華ギャランティが対価としてリアリティ不足でしょ。さらに声優たちの性的魅力も。もちろん俺はアリだが。もしデビュー前の20の子にちらつかせてあしらうにしても人気声優になれるかどうかも分からないし主役抜擢なんてことがあっても体売ってまでそのポジション行きたいか?いまなら某なり某なり某なりみたいになりたいと思ってる20の子がさ、みんなそんな頭がパーなわけないじゃん?超売れっ子が確実ならまあそれもありかと思うけど。不可能でしょ?枕問題と松田問題は無縁だろう。健全なキャスティングというのが具体的にどういう手続きで決まるかすら俺は知らないさ。フン。アニメに声を当てている行為に重きを置く人にとっては居心地悪いね。CDラジオ雑誌とかほとんど触れないしなー。そしてこの1週間で聞こえてくる声は今までと何も変わることはなかった。清濁を超えて美しかった。
イマ
プチブレイクの兆しがあるロミオ。クロチャンよりイマが好き。というわけでやっとります。沙也加ルートの1周目まで。やっぱいいわあ、これ。ムービー見てタイトル画面でピアノが響くだけでなんかクる。あずさはちょっとぼやけた感じで終わってたんだな。ギャグとコメが多め。あずさのオカンはちょっとやらしすぎるけど、このへん上手いよな。娘の友達の男子を舐め回すように見ると。忍と沙也加の問答はお互いにアイラヴユーアイニーヂューって告白しまくってるはずなのにどうして一緒にいられなくなったんだろう。忍に依存しなくちゃならないと沙也加は思い込んでて忍はそれを拒否して対等の関係になりたいだけでただそれだけで!「孤人の果て」で血に塗れた沙也加の微笑が目に焼きついて離れない。鋭くて優しくて強くて脆くて、沙也加マジ愛してる。小学生時代の聖域が出来るまでの話とかもいちいち素敵。サティのCD買おうかな。
敬称略
俺も最初は「さん」じゃなく「氏」でもつけて京都エロゲー論壇への足がかりにでもしようかなと思ったのだが指で数えられるくらいしかエロゲーしてないし京大出身じゃないしコメントやトラバでの面識すらねえし呼び捨てでいっかと。ソーリー。つうか京都に純然たるエロゲ論壇があったなんてこの前乙の字が書くまで知らなかったんだぜ?
http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20070531/1180589181
で、その乙の字は市民と似た傾向を持ってるのでやっぱ超褒めてた。この宮台チルドレンどもめ。セカイやシャカイに対してイニシアティブを取ろうとすることにフェティシズムを見いだすのはいいがそういうスキルを他人に強制すんなっつーの。そら実際出来てたら気持ちいいんだろうけどさ。時代の価値観に合わせてスキルアップしてジョブチェンジしてご苦労なこった。ノートの中央に線を引く、aとbに分ける。ここまではいい、ギリ。あかんのはその後、残念ながらゼロ年代の想像力は前の夫の子供として扱われます。そしてここで俺の中の生きていた中絶児が叫びだす。aはもちろんbにだってあるんだよ、豊かな詩がさ。市民を反復しようとするなら、例えば最近引かれたノートの線はもってけ!セーラーふくを購入したかしなかったか、になるんかなーと。そこにどんな詩を書きつけるのかが課題やね。まあ線引き自体やらしい行為に思えるけどさ、だって時代をサヴァイブしながらフラワーオブライフ読んで、「ああ、日常は豊かだな」と溜飲を下げて、次は何をどうすりゃいいんだよ?サブカルを利用するのも利用されるのも遠慮する。徹底するのはムリだろうけどもっと飄々とした感じで世界を広く感じていきたいっスね。
ああいった文章読まないとこういうこと考えないからなー。何事もなかったかのようにスルーしたかったんだけど。
SFマガジン
宇野常寛「ゼロ年代の想像力」を流し立ち読み。
塩の字がどういう意図でこれを載せたのか全く分からない。ほとんどSFカンケーねえし。惑星開発委員会のオセッカイ系のノリをSFマガジンに持ち込まないでよ。こんなのクイックジャパンとかでやってよ。最先端サブカラーな人はSFマガジンなんか読まねーよ。「時代に追い抜かれている」なんてSFマガジンで言うな。まあそれは置いといて肝心の内容はというとほんとどうでもいいことをあずまんを叩きつつ書いてるだけでした。時代性が移っただけで無理して葬ろうとしなくてもいいじゃん。雄雄しすぎてオッサンはついていけまへん。あずまんの劣化コピーの人たちの文章およびブログの方が萌える。宇野の煽りはギアス信者の俺でもギアスがつまらなそうに見えてくる。なんであんなに息苦しい場所へ導こうとするんだろう。オタライターのキャラとしては重宝されるだろうからあれでいいんだろうけど。
そういや狛犬邑武の飛浩隆インタビューは読みたいけどあれだけのために買うのもな、インビテの時の佐々木敦みたいに後でupしてくれたら嬉しいけど同人誌のインタビューでそれはないか。
円城塔
Self‐Reference ENGINE (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)
- 作者: 円城塔
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2007/05/01
- メディア: 単行本
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